About watercolor paintings

水彩絵画について

私の水彩画

武藤 初雄

このテーマで語る場合、師、先輩、いろいろな画家の影響を語らなければならないが、まず最初は師・栗林忠男先生との出会いだろう。

もともと、私は全く絵に興味も感じなかった。小学生の時からそうで、作品を褒められた経験もなかった。ただ一度、6年生の時?クレパスで描いた「ゆり」の絵が廊下に飾られ、よっぽど嬉しかったのだろう、記憶がある。

では、なぜ絵の世界に向かうことになったのか。27歳の時、職場で何かサークルをつくろうとなり、スケッチサークルをつくった。「なんかカッコイイじゃない!」というので始まった。

鉛筆・淡彩というスタイルで何人かで進めた。シロウトが描くには水彩しかない、と思っていた。運営委員の折田透さんもその1人だった。それから何年か経って気がつくと、描くことが面白くなっていた。その間、いわゆる水彩画を描き、技法書も何冊か求め、描いていた。―――自己流で描いていてもうまくならない。妻に「やっぱり習わなあかんかなあ」妻は「そら習わなあかんの違う?」「習うんやったらエエ先生に習いや」と当然のことを言う。

丁度その年(1979年・S54)2月の日展、3月の関水展を見た。どちらも初めて見た公募展だった。〝公募展″という言葉も知らなかった。その中で栗林先生の作品が印象に残った。力強く、タッチの効いた作品だった。もっといえば、私の思っている水彩画とは違った。「そや!この人に習おう!」ということで栗林塾の門をたたいた。8月だった。初めての子供が2月に生まれた年で、先生が52歳私が33歳だった。

もともと何の絵に対する興味も関心もない男が、今に至るのは、ただ私を絵というものに乗せてくれ、それに向かう覚悟を与えてくれたのは師との出会に尽きる、と思っている。人間どこに一生取り組むものに出会うかわからない。

丁度8月は一水会展の前で、先輩たちは教室に大作を持ち寄って来ていた。油の人も何人もいて、すごいなあ。榎本秀利先輩は水彩で緑を描いていてうまいなあ。谷野優子さんは細く草を描いていて…えらいところへ来たなあ、というのが本当のところで、帰りたかった。ただ、榎本さんは先の関水展で作品を覚えていて、あの人がここにおるんや、と嬉しかったのを覚えている。

それ以後、なん人もの画家、先輩の影響を受けていくことになるのだが、それは後日に。

私の人生の経過とは別に、今も私の心にとどめ、強く思っている水彩に対する考えを書いておく。

中西利雄「水彩画の技法」です。昭和18年発行され(私の読んだ本は戦後に再版されたもの)

強い影響、感動を受けた。中西は、昭和初期、水彩画に革命をもたらした人で、当時の若者に大いに影響を与えた。(上田素由先生からうかがった)

この本の〝序に代えて″の一部をこの文章のまとめとして再録し、読んでもらいたい。今も強く持っている私の考え方です。

故 栗林忠男 「湖北」
故 栗林忠男 「湖北」

中西利雄 著 「水彩画の技法」より

序に代えて

水彩画の技法水絵具によって白い紙の上に描かれた水絵は淡々とした面白さと、女性的なある繊細な美しさによって最もよくその特質を表現されると普通には考えられがちである。これは手引書的な、あるいはゆきずりの人がフト好奇心で水絵具に手を触れた程度の、それに近い極めて皮相的な概念的な考え方と言わざるを得ない。水絵というものに深い愛情を感じて、正しい絵画道の上に於いて水絵も絵画であるという厳しい自覚のもと水絵具をもって絵画するものにとっては、水絵というものがそのような簡単な甘い考え方からは決して出発してはいけないーーーということが直ちに理解されることであろう。

絵画の強い美しさ必ずしもよき絵画を意味せず、弱い絵画にしてなお美しきものも存在し得るということが言われるからといって、水絵の美しさをたど繊細淡美のうちにのみ求めようとする考え方には首肯し難きもののあるのを私は感じる。 水絵にして強き美しさを持ち得ずと軽々に断ずることは出来ない。

絵画の強い美しさが材質の強調とか画面の大きさとか、あるいはいたずらに強烈な色彩対比とか過度な誇張や変形とか、そういった外面的な条件からのみ生れるという軽薄な思考から先ず反省されなければならない。純粋さ、熱意、深い専門的知識と人間的教養の高さ、しかも同時に技術的に最も高度に練磨された技術の裏づけーーーなくしては格の高い深い美しさを獲得することは出来ないであろう。

大作に向かって

絵画以外の他の芸術ジャンル=演劇・文学・音楽・他=は数時間の経過の中で作品を受け止めますが、絵画は作品の前に立った瞬間に〝作品全体〟を受け止めるということになります。

まず構成

ですから、絵画は構成が作品全体の成否に大きく関係します。構図ということばを聞くと静物画を強く感じる人が多いと思います。〝もの〟をどこに置くか、その大、小、質の違い、組合わせ、それが机の上に置かれているのか、床なのか、背景は何なのか木なのか、コンクリートなのか、布なのか空間なのか。

人物画の場合でも、立っているのか、座っているのか、正面を向いているのか、横なのか、静物も人物もどちらの場合も作者がどう考え、どう描きたいのかによって、作者自身がモチーフ等を決定して行きます。

風景の場合は、少し違って〝在る実際〟を描いているのだと思っていませんか。山があり川がある。橋があり、田がある。それを「いい風景だ」カメラでパチリ、と撮って、それを描いていませんか。いい風景が写っている写真だから、それを描けばいいはずだ、いい作品(自分が思った〝いい〟が写っている)になると勘違いしていませんか。

よく20号を現場で描いたので、「写真で描いた訳ではありません」と声が聞えてきますが、大作にした場合、20号以上のものは出て来ないものです。

大作は写真で描こうと、20号で描いた作品を描こうと〝この作品を創る〟ために、構成第一にもう一度深く考えてみる必要があります。何かを描く場合、その大きさでいいのか、その木・森は必要なのか、よく云いますが、電柱が5本あれば、5本いるのか、1本で充分なのか……云えばキリがありません。私はその考えの基本として〝リズムとバランス〟ということを考え、描くことにしています。

度胸と覚悟

描く場合、鉛筆、その他でデッサンをして決めてあった色で塗り、画面すべて塗り終わったら「終わり」となっていませんか。

「絵は認識の集積だ」とよく私は云います。ほんとにそうなのか、実際と違っていないか、そう思っているだけなのでは、「よく見て」というと「よく見てます」と答えが返って来ますが、正しく認識するのは、かなりの熟練がいるものです。

何度も、形・色を直さなければなりません。もうこれ以上描けない所まですること=追求とは、そういうものです。

違うなあ、そうじゃないと思ったら、今描かれてある状態を変える。或る意味で云ったら〝つぶす〟、それを何度もやる、手間をおしまない。もっと云えば、今の自分を否定する。これは度胸がたいへん必要です。

「絵は度胸がいるよ」とこれも私はよく云って来ました。これが出来ないと作品が深く、上等になっていかないものです。

それに加えて、数年前から、その上に「覚悟」が必要と云っています。あるテレビドラマのセリフから「そうやなあ」と思ったからです。完成まで行くためには、必らず、〝自分の想い〟を手離さない。途中、誰れでも「うまく行かないなあ」「解からないなあ」と力を失いかけたりするものです。私もそうです。作品に目標を持ち続ける、それを手離さない、それが覚悟だと自分に云い聞かせています。

私の今は(この文章の書いている時)1年後の作品を描いています。何回も何回も手を入れ続けるためには時間がいります。

皆さん、本当に〝これを描きたい〟を見つけて下さい。見つかれば必ず、いい作品が出来ます。それを追求して下さい。〝覚悟〟をもって。

編集スタッフより

武藤初雄先生は油絵全盛の現代において水彩画で一水会運営委員、日展会員にまで努力されました。水彩画のレベル向上のため、また関西の水彩画愛好家の方々のご参考になればと執筆していただきました。

武藤初雄 プロフィール

1946年 大阪生まれ

1979年 栗林忠男に師事

1980年 関西水彩画展 関西水彩画展賞

1981年 一水会展初入選 水彩連盟展 六光社賞 研水会展 読売新聞大阪本社賞

1982年 研水会展 研水会賞

1983年 水彩連盟展 石山庄一賞 研水会展 大阪市長賞

1984年 一水会展 一水会賞関西水彩画展 大阪市長賞研水会展 大阪市長賞

1985年 一水会会員推挙 関西水彩画展 読売新聞大阪本社賞

1986年 関西水彩画展 大阪府知事賞研水会展 大阪市教育委員長賞

1988年 関西水彩画展 大阪府知事賞

1989年 日展初入選 研水会展 40回展記念賞

1990年 一水会展 一水会賞

1991年 一水会展 佳作賞

1992年 一水会会員推挙 水彩連盟展 会員賞

1995年 一水会新規約により会員から委員となる。

2001年 日展特選

現在:日展会員 一水会運営委員 関西水彩画会運営委員 研水会委員

武藤初雄先生